災害に対して古文書から何を得られるのか

災害に対して古文書から何を得られるのか

今一番入手困難な古文書はというと、
災害関係のものといっても過言ではありません。
それほど、大人気のジャンルなのです。

『安政見聞誌』という上中下巻3冊セットの場合、
今調べますとさらにまた値上がりしたようで
15~20万円もします(!!)

さまざまなところで積極的に掘り起こしがされているようですし、
当分このトレンドは変わりそうもないですね。

そうしたことから、自分の手元に災害関係の古文書は一冊もないのですが、
一部を少しだけ読んだ経験と、
磯田道史先生の『災害の日本史』という本を購入して読みましたので、
書かれている災害関係の記述内容についての雰囲気は掴めているとは思います。

それらを総括してみると、今後30年以内に高確率で起こる
南海トラフ地震・首都直下地震などに対して、
古文書に書かれたことはどれほど参考になるのかというと、
勉強にはなりますが期待するほどではないように感じます・・・。

と言いますのも、
建築物の構造・人の密集度合い・都市の構造・気候など、
人の住む生活環境があまりに違っているためです。

そしてどうしても気になって仕方ないのが、
「備えてください」というどこでも頻繁に使われる言葉。

備えるというのは一時的にしのぐという意味であって、
遭遇した被害を最小限に食い留めて、
また元に戻ることを想定した言葉だと思うのですよ。

でも、これから起こるかもしれない上記の地震などは、
そうした一時の備えどころではない規模のものです。

ですから私個人としては、「備えるではなく、もはやその場所を去る」
つまり「引っ越しする」レベルのものではないか、と常々思っていました。

ですが、実際には仕事場も自宅もある人がどうやって引っ越しできるのかというと、
それは不可能だから「備えてください」というのが精一杯なんですよね。

そんな中、某YouTubeチャンネルで、地図上の特定地域(太平洋沿岸)を指して
「ここに該当する方は一刻も早く引っ越ししてください」と言っていたのには、
正直ようやくその言葉を使う人が現れたかと嬉しくなったのものです。

もうそのくらいの危機を感じないといけない状況なのですが、
持ち家のある人はそもそも諦めているわけですし、
どれだけの人の心に響いているのでしょうか・・・。
(ちなみに、私が今年関東から北海道へ転居した最大の理由も、災害から逃れるためです)

歴史は繰り返す、だから、過去の災害についての詳細を
古文書から知るということは必要ですが、
それをこれからどう生かすかを古文書から学ぶのには、限界があると思っています。
しつこいようですが、備えることのできる規模ではないからです。

人口も家屋の構造も産業も、
江戸時代以前は再建可能なレベルでしたが、
今関東大震災級のものがやってきたら、
大都市ほど復旧できるのか難しいのではないかとすら思うのですよ。
それを我が身として考えている人が日本にどのくらいいるのでしょうか。
ほとんどいない、いてもわずかでしょう。
その危機感のなさが日本最大の危機だと感じるのです。

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