日本人にとって字がキレイであることの意味

日本人にとって字がキレイであることの意味

ある有名人へのご相談に、
自分の子どもの字が汚いことを心配する親御さんの話がありました。

わたしなら、迷いなく書道(習字)を習わせましょうと言いますが、
そうした回答ではなかったようです(笑)

私自身、小学校1年生からずっと書道を続けていましたので、
そのころから日常的に「続け字」を書いていましたから、
もはやキレイな字を通り越して、
他人にはほぼ読めないものになっておりました。

おおよそ小学生の女子が書くようなものではなく、
そこらのオッサンのような達筆なものだったため、
「オヤジ字」とさんざん言われてきました。

それでも、自分の字は世界一美しいと自信がありましたので、
(実は今でもそう思っていますが)
まったく気にはなりませんでした。

ちなみに現在では、書いた字を見て
「お名前なんとお読みするのですか」としょっちゅう聞かれます。

そういう経験から、極めすぎて読めない字を書く、ごく少数派を除いて、
書道を学んでいて字がキレイにならないことは
「絶対にない」
そう思っています。

オンライン講座の中級コースのテキストは
往来物といわれる江戸時代の寺子屋で使われた
いわば子ども向け教科書ですから、
当時はこうしたものをお手本に習字を勉強していたわけです。

キレイな字を真似て繰り返し練習し会得できれば、
とんでもなく字が汚くなることなんて基本的にないのですよ。

ですから、書道は本当に素晴らしいものなのです。

ただ、先のご相談に対する回答の中で
「世界中で字が汚いことを問題にする国は日本しかない」
という、大変興味深い発言がありました。

これは、「字」に対する意識が日本人にとっての
「品位・品格」を表しているということだと思うのです。
日本を表す文化そのものということですよね。

世界では字が汚くても気にしないのだから
日本でもいいじゃないか、ではないんです。

最近、グローバル化というものにはあらゆる問題が潜んでおり、
それに立ち向かっていくために必要になることは
その国で長い時間をかけて培われた独自性をしっかり確立していくことだ、
ということが徐々にわかってきました。

その独自性こそが文化だということです。

これから日本は、その失われてきた(忘れて来た)誇りにしなければならない文化を
もう一度取り戻して(思い出して)いくことが必須なのですね。

その中には、「キレイな字」を書けることもまた
間違いなく含まれているのだろうと気づかされたのでした。

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