動じない流されない~中庸を生きるために必要なこと

歳を取ると丸くなると言われますが、
若いのにすでに丸くなっている人というのも
あまり見かけませんよね。
(過去世で徳を積んできた人は、若くても老成している場合もあります)
こうした丸くなっているのは
「中庸」を生きているという状態です。
このゾーンに入ると感情が大きく揺さぶられることもありませんし、
何事にも動じず、あれこれ悩むこともなく、
おおらかに生きることができて非常にお得です。
人間はみな自然とこの「中庸」を目指して生きているわけですし、
できることなら一刻も早くその領域に達したいものですが、
なかなかそうは問屋が卸しません。
なぜ右にブレ、左にブレして、いつまでたっても
心休まる日々を送ることができないのでしょうか。
それは中庸に達するために、さまざまなことで
「右」も「左」も両方経験する必要があるからなのですね。
しかもその両方を経験するには何年も要してしまいます。
だから歳を取ってようやくその中間である「中庸」に達するように、
どうも人間というものは設計されているようなのです。
例えば、人に依存してばかりの人は
最悪の場合だとDV男から逃れられなくなったりします。
これを矯正するには、依存しないで自立することを
経験しなくてはなりません。
コンビニ弁当や加工食品ばかり食べて不摂生している人は、
身体を壊してようやく健康に気を使うようになったり、
会社員生活に疲れた人は、
思い切って脱サラして生きる意味を見出したり、
人それぞれに大小いろんなことが人生にはあるでしょう。
こうして人はみな一様に、
一方の何かを経験したらバランスを取るために
いつか逆側のものを経験する機会がやって来ます。
古文書にもこのようなニュアンスに近い内容の
ものがありますのでご紹介したいと思います。
いろは順に歌形式で道徳を教える
『おしへのつえ(おしえのつえ)』
から、「ら」の歌をご覧ください。
「楽が苦と成る 苦が楽と成る
苦楽がないのが 真の楽」
深いですね・・・。
そしてこれが物事の本質ですね。
そうなんです。
みんな頭ではわかっているのです。
ですが、わかっているのに
そうした状況に遭遇してしまう。
そして一喜一憂し、落ち込んだり、眠れなくなったり、
ストレスをため込んだりするわけです。
それは、わかっているだけでは
人間をやっている意味がなく、
経験する必要があるからなのですね。
じゃあ、知らなくてもいいじゃんと思うかもしれませんが、
概念を知っていたほうが早く対処できる、
次に何かが起こったときに動揺が少なくて済むなど、
やはり頭を使う動物である人間ならではの
メリットというものも確実にあるのですよ。
そして、これは個人だけに起こることではなく、
組織や国単位でも同様のことが言えるのです。
今の日本は、移民問題やコメ問題など、
国の根幹を揺るがす大きな問題にいくつも直面しています。
これも、今まで政治に無関心すぎた国民が
政治にしっかり関与し、政治家を監視していくということ、
そして、だまってばかりで主張しないのをやめ、
悪いことは悪いと言う、
問題を提起して正しい方へ舵を切るといった、
今までとは反対の面を経験させられている段階に来た
ということではないでしょうか。
本当に、あまりに厳しい試練だと思うのですが、
実際にそうした世の動きに無知な人が多いがために、
覚醒が必要なくらい大きな出来事が
起きてしまっているのでしょうね・・・。
しかしまだこれは序盤。
奇しくも本日(10/4)
自民党総裁に高市さんが決まったようですが、
今後も政治により一層の関心を向けなくてはなりません。
国も個人も、大きく変化をしていく時代に突入していますから、
みんなで良い方向へ変化していきたいものですね。
そして中庸に辿りつけますように・・・。
ちなみに、こうした大層なことを書いている私は
只今大きな揺り戻しの渦中におり、
苦悩の毎日でございます・・・。